● サッカーワールドカップ特集 ●

  ←ここをクリックして応援お願いします My Yahoo!に追加

お気に入りにいれてもらえると、もっと喜びます(^^) 

« ウクライナ代表 アナトリー・ティモシュチュク | メイン | ワールドカップ 北中米カリブ地区予選(最終予選)* »

2006年04月01日

ブラジル代表 ロナウド

9 ロナウド

生年月日

1976年 9月 22日
身長 183cm
体重 82kg
ポジション フォワード
現所属クラブ レアル・マドリード (ESP)
過去所属クラブ 1993-1993 クルゼイロ
1994-1996 PSVアイントホーフェン(オランダ)
1996-1997 バルセロナ(スペイン)
1997-2002 インテル(イタリア)
2002- レアル・マドリード(スペイン)

プロフィール


スピード、テクニック、DFの当たりに負けないボディバランスを併せ持つ。強烈な切り返しとスピードあるドリブル突破、両足から放たれる正確なシュートが特長で、世界最高のストライカーの1人。

2000年に右膝の前十字靭帯を断裂するという重傷を負い選手生命を危ぶまれたが、手術と1年以上に及ぶリハビリを経て復帰した。 復帰後はリハビリで膝の筋肉を鍛えたので体重が増加し、走力とスタミナが以前より落ちたためにドリブルをする距離が短くなったといわれる。

しかし、足元のテクニックやディフェンスの裏へ抜け出ししてからの加速力とトップスピードの速さは相変わらず世界でもトップクラスであり、シュートの決定力やゴール前での狡猾さ・冷静さは若い頃より増した感がある。

又、一般の選手がほとんど使わないトウキック(足のつま先で蹴るキック)でゴールを陥れるのも得意である。

ここぞという場面での決定力は世界4,5を争う。そのプレイぶりから「怪物」、「フェノメノ」 (イタリア語で信じられないような現象・人)の意とのあだ名をつけられている。まさに存在自体が超常現象である。
「攻撃の戦術が無い」と批判された当時のバルセロナ監督ボビー・ロブソンが「私の戦術はロナウドだ」と言い返したのは有名な逸話で、卓越した個の力で高レベルの守備組織をも凌駕して1人で得点を取れる世界でも数少ない選手である。
20代前半までは鋼のような体で世界最高峰の瞬発力、トップスピードを誇っており、長い距離をドリブルしGKまで抜き去ってのシュートというのが度々見られた。相手からは「ボールを渡さない」、「反則でしか止められない」と言われたほど。膝の十字靭帯を断裂するという大怪我からの復帰後は、全盛期のような豊富な運動量はなくなったが今でもボールを持てば相手のDFを一瞬で置き去りにできる速さと巧さを合わせ持つのが怪物たる所以である。
ロナウドのセリエA1年目の外国人選手が25ゴールをあげた記録は最多で未だに破られていない。
2005年にはスペイン国籍を取得した。
趣味にF1とゴルフがある。
チームメイトのジダンとともにUNDPの親善大使を2003年から務め、貧困撲滅キャンペーンへの協力とチャリティマッチを開催している。
意外なことに中国ではクレジットカードのCMに出ている。2002年W杯で帰国の際、空港でちょんまげのかぶり物をかぶりながら飛行機に乗っていった。
2002年の日韓ワールドカップの途中に、前髪のみを三角形に残して残りの髪を全部剃るという奇抜な髪型にしたことがある(日本では、三角の前髪を海苔に見立てて「おにぎりカット」、またはドラマ『子連れ狼』の登場人物から「大五郎カット」と呼ばれた)。本人は非常に気に入っていたようだが、世界中のファン、果ては自分の息子からも「変だ」と総バッシングを食らい、結局ワールドカップ終了後すぐにやめてしまった。が、それは自身が緊張するあまりフランス大会で活躍できなかった轍を踏むまい、そして仲間達に踏ませまい、との心遣いだった。事実、当時のキャプテンことカフーから「至上最悪の髪型」と揶揄されるほどだったが、セレソン全てが和む事が出来、決勝戦での勝利と言う最高の形に繋げる事が出来た。
アトランタオリンピックに出場したときの登録名称は「ロナウジーニョ」だった。



投稿者 サッカーワールドカップファン : 2006年04月01日 00:00

コメント

コメントしてください




保存しますか?