| 18 小野伸二 | |
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生年月日 |
1979年 9月 27日 |
| 身長 | 175cm |
| 体重 | 74kg |
| ポジション | ミッドフィルダー |
| 現所属クラブ | 浦和レッドダイヤモンズ (JPN) |
| 過去所属クラブ | 1998-2001 浦和レッドダイヤモンズ 2001-2005 フェイエノールト(オランダ) 2006- 浦和レッドダイヤモンズ |
プロフィール
小学生時代から「天才」と呼ばれ、1993年、13歳でU-16(16歳以下)日本代表に初選出されて以後、常に各年代の代表チームの中心選手として活躍した。1994年には、第6回U-16アジアユース選手権で優勝し、1995年にはFIFA U-17世界選手権大会にも出場した。
清水商業高校でも主力となり、3年生の1997年には全日本ユース選手権優勝、インターハイ準優勝、他校の選手と合同チームを組んだ国民体育大会では静岡県選抜として少年男子の部で2年連続優勝などの成績を残したが、全国高等学校サッカー選手権大会だけは縁がなく、一度も本大会出場を果たせなかった。この年の暮れに、卒業後でのJリーグ浦和レッズ入団を発表した。背番号は28。
1998年にはアジアユース選手権で準優勝し、MVPを獲得。韓国とのワールドカップ共催記念試合で岡田武史監督に抜擢され18歳でA代表デビュー。ワールドカップ フランス大会でも日本代表に選出され、ジャマイカ戦に15分間出場した。また、レッズでもデビュー第2戦の横浜フリューゲルス戦で日本代表GK楢崎正剛を破るプロ入り初ゴールを決め、この年で9得点を記録した。同時に新人王とベストイレブンにも選出された。
1999年、レッズでの背番号を8に変更。FIFAワールドユース(U-20)選手権大会(ナイジェリア大会)で主将として準優勝(決勝戦は累積警告で出場停止)に大きく貢献し、ベストイレブンに選ばれた。しかし、シドニーオリンピックのアジア地区予選で左ヒザに重傷を負い、半分以上の試合を欠場したレッズではチームのJ2降格を食い止められなかった。
2000年にはアジアカップ(レバノン大会)で優勝したが、コンディション不良は続き、シドニーオリンピックの本大会メンバーからは漏れた。しかし、レッズでは主将としてチームをまとめ、J2最終戦でのJ1昇格を遂げた。
2001年、日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで準優勝し、完全復活をアピールした。その後、J1第1ステージ終了後にレッズからフェイエノールトに移籍し、海外での挑戦を開始した。背番号は14。
2002年には所属チームのフェイエノールトでUEFAカップに優勝し、プロ入り後初のクラブでのビッグタイトルを獲得した。その後のワールドカップ日韓大会では虫垂炎を患いながらも全試合に出場し、日本代表として史上初のベスト16進出を果たした。
2003年にはアジアサッカー連盟(AFC)からは前年の年間最優秀選手に選出された。ただし、オランダでの3シーズン目には負傷欠場が増え、チームとしても期待通りの成績を挙げる事はできなかった。
2004年にはアテネオリンピックのオーバーエイジ枠に選ばれ、念願のオリンピック出場を果たしたが、1次リーグ3試合でPKの2得点に終わり、チームも決勝トーナメント進出を逃した。しかし、現在でも日本代表の中核選手であり、ワールドカップドイツ大会のアジア地区予選ではインド戦でフリーキックを決めるなどの活躍を続けている。
2005年は慢性的な足の怪我により手術とリハビリの繰り返しであった。もちろんリーグ戦での出場は少なくなり、12月にフェイエノールトが浦和レッズへの譲渡を打診してきたというニュースが流れる。しかし小野本人には伝わっておらず、不信に感じていたようである。その後、イングランド・FAプレミアリーグのボルトンが期限付き移籍での獲得を打診したが、完全移籍を希望するフェイエノールトと条件が折り合わなかった。
そして2006年、1月13日に浦和レッズへの復帰が決定し、1月26日に正式契約を結んだ。背番号は18。
- 2006年04月01日日本代表 小野伸二