| 13 柳沢敦 | |
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生年月日 |
1977年 5月 27日 |
| 身長 | 177cm |
| 体重 | 75kg |
| ポジション | フォワード |
| 現所属クラブ | 鹿島アントラーズ (JPN) |
| 過去所属クラブ | 1996-2003 鹿島アントラーズ 2003-2004 サンプドリア (イタリア) 2004-2005 メッシーナ (イタリア) 2006- 鹿島アントラーズ |
プロフィール
スペースの作り方、オフ・ザ・ボール(ボールを持たないところの動き)は一流で、ゴール前での潰れ役も厭わない献身性の高さが売り。ただフィジカルの強さをそのまま生かしたポストプレーではなく、相手ディフェンスの動きを予測しスペースに入り込んでの頭脳的なポストプレーを得意とすると言う点で珍しいタイプのフォワードである。動き出しの質の高さで2002年W杯の日本の得点にも貢献している。ベテラン・カズも彼を評価している。「自分がゴールする事よりも得点するプロセスそのものを突き詰める事に意味がある」「点を獲るだけがFWの仕事ではない」とする思考もストライカーとしてはやはり異端で、それがそのまま(能力に比しての)ゴールの少なさにも直結している。彼を純粋なストライカーと呼べるかどうかは意見が分かれるところである。
その一方日本代表ではコンスタントに得点を決めており、ジーコ監督の信任は厚い。特に、フォーメーション・ポジションの変更にも柔軟に対応出来るクレバーさが重宝されている。
経歴
FCひがし-富山第一高校-鹿島アントラーズ-サンプドリア(期限付き移籍)-FCメッシーナ(2004年7月〜期限付き移籍、2005年7月からは完全移籍)-鹿島アントラーズ(2006年6月30日まで期限付き移籍)
2003‐04シーズン、イタリアのセリエA・サンプドリアに移籍したものの無得点に終わっている。2004-05シーズンには同じセリエAのメッシーナに移籍し、FWにとどまらずMFとして出場するなどしたが結局ゴールを決めることが出来なかった。
2005年シーズン開始前、鹿島からレンタル先のメッシーナに完全移籍したが、柳沢が他クラブに移る場合は、移籍金を両クラブで折半する条項が盛り込まれたオプションつきの完全移籍で、いわゆる「共同保有」という形になった。
メッシーナは移籍金を満額支払う資金力がなかったが、柳沢は残留を希望。本来の約半分となる推定約70万ユーロ(約9500万円)を鹿島に支払うことで妥協した。FIFAのルール上、共同保有という概念はないため、表向きは完全移籍となる。
日本での柳沢の肖像権、3年後に契約が満了した場合の優先交渉権は、鹿島に残り、Jリーグのクラブが獲得を打診する際の窓口も鹿島になる。
2005年12月には2006W杯へ向けて、出場機会の少ないことに不満を訴え移籍(鹿島への復帰)を希望し、2006年3月から6月末まで鹿島への期限付き移籍という形で了承された。背番号は慣れ親しんだ13番。復帰戦となった2006年Jリーグ開幕戦のサンフレッチェ広島戦ではスタメンでフル出場、ハットトリックを達成してイタリアでの成長を垣間見せた。しかし同年3月25日のジェフユナイテッド市原・千葉戦で右足の痛みを訴えて交代、翌日に右第5中足骨骨折で全治2カ月と診断された。しかしジーコ日本代表監督の信頼は厚く、2006年5月15日に行われた本選出場メンバー発表で代表に選出される。後は怪我がW杯本番までに完治し、調子を取り戻すかどうかに注目される。
2003年12月24日、モデルの小畑由香里と入籍した。なお、トルシエジャパン時代、代表合宿を抜け出して当時恋人であったモデルの梨花とのデートをフライデーされたこともある。
2005‐06シーズンはレッジーナでプレーしていた中村俊輔がスコティッシュ・プレミアリーグのセルティックに完全移籍し、フィオレンティーナでプレーしていた中田英寿がFAプレミアリーグのボルトンへレンタル移籍したため、05‐06シーズンでは日本人唯一のセリエAプレイヤーであったが、鹿島に復帰したため現時点ではゼロとなった。
- 2006年04月01日日本代表 柳沢敦