| 5 宮本恒靖 | |
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生年月日 |
1977年 2月 7日 |
| 身長 | 176 cm |
| 体重 | 72 kg |
| ポジション | ディフェンダー |
| 現所属クラブ | ガンバ大阪 (JPN) |
| 過去所属クラブ | 1995- ガンバ大阪 |
プロフィール
現在、J1のガンバ大阪所属。ポジションは中央のディフェンダー(センターバック)。冷静な判断で相手の動きを読み、ディフェンスラインを統率する頭脳明晰なプレイヤー。
大阪府立生野高等学校卒業後、ガンバ大阪入団と同時にスポーツ推薦ではなく指定校推薦枠で同志社大学経済学部に進学、プロスポーツと学業の両立を果たす。因みに大学では労働経済学のゼミに所属していた。
日本を代表するディフェンダーであり、2001年末からトルシエJAPANのキャプテンを務める。 2002 FIFAワールドカップにおいては開催直前に練習試合中の事故で鼻骨骨折したため、顔面を保護する為に医療器具のフェイスガード(ノーズガード)をつけて出場し、バットマンと渾名された。因みに、このフェイスガードは兵庫医大病院で作られ、 元々白かったのだが、本人が黒く塗ったものである。ちなみに最初はマジックで塗った為、試合後はフェイスガードを着けていた部分が、真っ黒になっていたらしい。既婚にもかかわらず女性からの人気も高く、一部ではツネ様とも呼ばれている。ジーコJAPANのキャプテンも務める。
サッカーのプレイのみならず英語・仏語にも堪能で、国際試合などでその語学力も活かしチームに貢献。2004年アジアカップ準々決勝のヨルダン戦では審判に通訳なしで史上初PKの位置変更を申し入れ、勝利を導く(そもそも、PK戦の途中で審判への申し入れによってサイド位置が変わることはありえないことである。ジーコ監督も試合後の会見で「自分はあのような場面を見たことも聞いたこともない」と言っている)。三度目のアジアカップ優勝を果たした。トルシエジャパン時代にも、通訳のフローラン・ダバディーを介さずに直接トルシエと話しをしたという。
2005年写真集を発売し、初版は即座に完売となる。8月にセリエAのトレヴィーゾFCからオファーがあるもののガンバ大阪の初タイトル獲得のため 断った。12月3日、川崎等々力陸上競技場で行われたガンバ大阪対川崎フロンターレ戦で優勝を決め、感激のあまり号泣した。翌日のスポーツ紙はほとんど「宮本 号泣」などの見出しで書かれていたり、テレビでも泣いたところをよく使われるので、「よく泣く人」「泣き虫」と誤解されるのを心配した。
- 2006年06月11日川淵キャプテン 初戦勝利を厳命
- 2006年04月01日日本代表 宮本恒靖