● サッカーワールドカップ特集 ●

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6 中田浩二

生年月日

1979年 7月 9日
身長 182cm
体重 74kg
ポジション ディフェンダー
現所属クラブ FCバーゼル (SUI)
過去所属クラブ 1998-2004 鹿島アントラーズ
2005-2006 オリンピック・マルセイユ (フランス)
2006- FCバーゼル (スイス)

プロフィール

小学校低学年のころは父親の転勤の関係で転校を繰り返しており、滋賀県出身ではあるが、サッカーを始めたのは神奈川県の南戸塚小学校2年の時である。小学校3年の時、鳥取県米子市の義方小学校に転校しそこで本格的にサッカーを始めるようになる。小学校5年の時、全日本少年大会に出場する。後藤ヶ丘中学校に進学し、中学3年の時、全国中学校大会に出場する。2年の時に中国選抜として選抜中国大会に出場する。中学校までのポジションはFWで、左足の怪物として地元紙にも取り上げられるほどの存在となる。
帝京高校進学後はBチームに入れられるなど決して順調ではなかったものの、ボランチに転向し、頭角を現す。3年生のときにキャプテンとして全国高校サッカー選手権に出場し、決勝では後にチームメイトとなる本山雅志(現鹿島アントラーズ)擁する東福岡に敗れるものの、準優勝を収める。
1999年のワールドユースを機に当時の監督フィリップ・トルシエにDFにコンバートされてから日本代表に定着する。本人曰く「年を重ねるにつれてポジションが下がっている(笑)」とのこと。絶妙なバランス感覚と正確なロングフィードで、トルシエの提唱するフラット3の左のDFというポジションをつかみ、トルシエ監督下、最もコンスタントに試合に出場した選手の一人である。
2002年FIFAワールドカップにもフル出場を果たす。Jリーグの鹿島アントラーズでも、MFとしてチームに多くの栄冠をもたらしている。ジーコが日本代表監督に就任すると、本来のMFとして出場していたが、2003年に左ひざ靭帯断裂の大ケガを負い、長期戦線離脱を余儀なくされた。2004年5月、柏レイソル戦で259日ぶりの試合復帰を果たした。
2005年1月、元日本代表監督のトルシエが監督をしているフランス1部リーグのマルセイユの練習に参加する。マルセイユ側は中田の獲得を打診するが、提示された移籍金が低額だったため、鹿島側は中田の移籍を認めなかった。ちょうど中田との契約切れが迫っていた鹿島側は来季以降の契約更新を申し出るが、中田本人が海外移籍を希望していたため断り続ける。結局契約切れとなりフリーの立場で1月26日にマルセイユに移籍。所属クラブの意向を無視した(移籍金0円での)移籍だったため、円満移籍とは言いがたい。
移籍当初はそこそこ出場機会はあったが、トルシエ監督の解任により出場機会が激減。守備的MFだけでなくDFもこなせるため出場が期待されたが、イスラエルのクラブから数億単位の移籍話を蹴ったことでフロントとの関係が悪化、その結果事実上戦力外にされてしまう。
2006年、出場機会を求めてクラブに移籍を申し出る。古巣の鹿島にも打診したが、「移籍金0円なら獲得する」という回答だった。イスラエル、ウクライナのクラブからオファーが届くもいずれも断り、スイスリーグの名門バーゼルの練習に参加し、その後正式契約を結んだ。
またそのルックスから、2003年に水泳のイアンソープ、サッカーのデルピエロ、ベッカム(マンチェスターユナイテッド)、女子テニスの クルニコワ(ロシア)とともに“世界イケメン5傑”に選出されている。